映画「クラッシュ」のレビュー

クラッシュ(衝突)は国家の間や地域社会、家族の間、様々な場所で起きる。小さな行き違いが大きな対立を生むことも。作品のテーマはズバリ「不寛容」。日常生活の中で個人が抱く小さな負の感情が重なり合って、社会をズタズタにしていることを描いている。この映画は人間を単純に善人・悪人に分けていない。人種差別主義者は24時間有色人種を差別しているわけじゃなく、時と場合によっては命がけで相手を助けようとする。短気で常に他人を批判している人物の心の内には地獄のような孤独感がある。登場する全員が日々の中で何かしら辛い問題を抱えており、ストレスのはけ口が弱者への差別となる。
悲劇の本質は、誰もが生活に精神的な余裕がなくて、他者の内面まで考えられない「想像力の欠如」。他人の為に何かをすることが「損」と思われ、人を信用すると馬鹿と言われる風潮。憎悪や偏見という負の感情で人々は圧死寸前になっている。この映画は観客に“一呼吸つこう、その憎しみの先を考えて”と語りかける。そして、ちょっとしたきっかけで、負の感情がプラスに変わる瞬間が幾つも描かれる。苦手だと思っていた相手の小さな善意を見ただけで、その人を許せてしまう。見事な心理描写で、登場人物の気持が変化していく過程を追う。
ミリオンダラー・ベイビー』で製作・脚本を手がけたポール・ハギスの初監督作品。

人間はある程度生きると、第一印象で他人にレッテルを貼って接するようになる。一人一人に真っ直ぐ向き合うより、その方が楽ちんだからだ。だが、面倒でも相手の多様な横顔を見ようとすることが、「ひとくくり」と「思い込み」から生まれる悲劇を避ける唯一の道筋だ。希望はある。人間はちょっとした出来事でイライラして不寛容になる一方で、相手がどうしてそういう態度をとるのか、他者の立場で少し考えるだけで“なるほどね”と許せてしまう。皮肉屋は“誰だって心の中に差別感情を持っている”とうそぶくが、この映画は“だがしかし、もっと心の奥底には差別感情を超越した人間愛がある”というメッセージを伝えており感動した。
正義を手放しで賞賛し、返す刀で悪を断罪しても、双方の距離は広がるだけ。相互理解に向かう為には、この映画のようにまず正義と悪を近づけ、各々の内に善悪が共存する事実を認め合うことから始めるしかない。

様々な人種、階層、職業の人物の人生が交錯するこの群像劇は、主要な登場人物だけでも10人以上いる。2時間もないのに、見る者を混乱させずに描き分けている脚本と演出は見事としか言いようがない。特定の感情を押しつけることもなく人間の本質を描ききる…これほど完成度の高い社会派エンターテイメントは滅多にない。拳を突き上げて差別を非難するのではなく、差別に走る人間の弱い部分をそのまま見せることで、観客もまた当事者であることを気づかせる。オスカーの栄冠にも納得だ。ハリウッド大作のように次から次へと大事件は起きないのに、クラッシュ(衝突)の緊張感から一瞬もスクリーンから目を離せなかった。使用される音楽は多言語で洗練されており、物語同様、メロディーに冬空の寂しさと、美しさ、透明感が同居していた。

最終的に本作は人々の日々の営みを肯定し、人とクラッシュ(衝突)すると、悲劇が生まれるケースもあるけど、逆に救われたりもするんだよと語っている。神話ではないリアルな人間讃歌。この作品を観ると、多民族国家アメリカが、あんなに英語を喋れない人がたくさんいて、銃が社会に溢れているのに、曲がりなりにも国家として成立していることが、“人間は基本的にみんな良い人”ということの証拠に感じる。「人は必ず分かり合える」という言葉に接すると、歯が浮く理想論に聞こえるけど、この映画を見終わると“現実は確かに甘くない、でも可能性は0%ではない”と感じる。映画はクラッシュで始まりクラッシュで終わるものの、物語を一通り観た後のクラッシュは、ワイワイと言い争っている人間たちが愛しい存在に見えるから不思議。おそらく、誰しも欠点を持つように長所も持っていることを観てきたからだろう。他者からの優しさは、日々の苦悩を吹き飛ばす絶大な力があり、人はまた少し“やっていける”。人生はその繰り返し。“お互い様”と優しくありたい。人間は不完全だから面白い。