映画「ジョニーは戦場へ行った」感想

映画「ジョニーは戦場へ行った」は、1971年に公開されたアメリカの反戦映画である。ダルトン・トランボが原作・脚本・監督を務めた。第一次世界大戦中に戦場で重傷を負い、意識だけが残った青年ジョニーの姿を描いた作品で、戦争の残酷さと虚しさを強烈に訴える。

映画は、ジョニーが野戦病院のベッドで、自分の置かれた状況に絶望し、安楽死を求める様子を描く。ジョニーは、戦場で両腕両足を失い、顔も潰れてしまった。聴覚だけは残っているが、それによって周りの人々の会話や、自分の身体の異臭などを聞くことになり、苦しむ。

ジョニーは、安楽死を望む理由を、次のように語る。

僕は、もう生きる意味がない。僕は、もう人間じゃない。僕は、ただの肉塊だ。

ジョニーの言葉は、戦争によって人間性が奪われた者の悲哀を、痛烈に伝えている。

映画は、ジョニーの周りの人々を通して、戦争の残酷さも描く。ジョニーの看護師であるデイジーは、ジョニーに安楽死をさせようとするが、上官の命令によってそれを阻止されてしまう。デイジーは、戦争の虚しさに絶望し、酒に溺れる。

ジョニーの友人であるデュークも、戦争で心を病み、精神病院に送られてしまう。デュークは、戦争で殺戮を繰り返したことに罪悪感を感じ、自殺を図る。

映画は、戦争によって傷つけられた人々の姿を、容赦なく描く。

映画のラストシーンは、ジョニーが、安楽死を認められず、苦しみながら息を引き取る様子である。このシーンは、戦争の無残さを、最も強く訴える場面である。

映画「ジョニーは戦場へ行った」は、戦争の残酷さと虚しさを、強烈に訴える傑作である。この映画は、戦争の悲惨さを知る上で、必見の作品である。

以下に、この映画の評価を、いくつかの観点から述べる。

反戦映画としての評価

この映画は、戦争の残酷さと虚しさを、強烈に訴える反戦映画である。戦争によって人間性が奪われた者の悲哀を、痛烈に描いている。また、戦争によって傷つけられた人々の姿を、容赦なく描いている。

この映画は、戦争の悲惨さを知る上で、必見の作品である。

人間ドラマとしての評価

この映画は、戦争という極限状況の中で、人間の尊厳と存在意義を問う人間ドラマでもある。ジョニーは、戦争によって人間性を奪われた者である。しかし、彼は、最後まで人間としての尊厳を失わず、安楽死を認められないまま、苦しみながら息を引き取る。

この映画は、戦争という極限状況の中で、人間がいかにして生きるべきかを、問いかけている。

映像・演出としての評価

この映画は、モノクロで撮影されており、戦争の悲惨さをより一層強調している。また、ジョニーの視点から見た映像や、ジョニーの内面を表現する演出など、見どころが多い。

特に、ジョニーが安楽死を願うシーンは、彼の絶望と苦しみを、強烈に表現している。

ダルトン・トランボの作家としての評価

この映画は、ダルトン・トランボの原作・脚本・監督による作品である。トランボは、ハリウッドの「赤狩り」によって、10年間にわたって映画界から追放された経験を持つ。この映画は、トランボが、戦争と政治に対する怒りと、人間への愛を、込めた作品である。

トランボは、この映画で、アカデミー賞脚本賞を受賞した。

以上のように、映画「ジョニーは戦場へ行った」は、戦争の残酷さと虚しさを、強烈に訴える傑作である。この映画は、戦争の悲惨さを知る上で、必見の作品である。